萩ジオパークさんとテレビ交流会(夏みかん)

ジオパークテレビ交流会
萩のジオパークの人たちが写ってます

12月下旬の話になりますが、萩ジオパークさんと磐梯山ジオパークのテレビ交流会がありました。

お菓子つながりだそうです。
なので、テーブルには萩のお菓子が並んでいます。
(鳥海ジオパーク研修の時と同じくまたスマホを忘れました)

夏ミカン関係のお菓子です!

萩には高校の修学旅行で行きました。
たしか、いまだに萩焼の湯のみがあったはず。
武家屋敷など 、どこも観光せずに友人たちと萩の美しい砂浜で過ごした覚えが目に映ります。
萩の海岸は穏やかで美しいです。
砂のひとつぶひとつぶがキラキラとしてきれいだったよな覚えがあります。
同じキレイな海岸でも、太平洋の四ツ倉海岸とは違います。

で、萩は夏ミカンなんです!

萩の夏みかんの歴史

長州藩の中心が、萩から山口城( 山口屋形 )に移り、城下町として栄えていた萩は衰退していきます。
さらに明治になって、武士たちが職を失うことになり、萩の経済は衰退していきます。
不満も高まり、大変なことになっていたそうです。

そこへ元萩藩士だった小幡高政さんが、武士たちに夏みかんづくりを奨めたそうです。

夏橙 (ナツダイダイ)

そういえば、夏みかんのことをダイダイって言ってましたよね。
なんとなく記憶にあります。

話がそれてばっかりですが、夏みかんと言うのは明治中期に大阪の人の勧めで名付けられて様です。

でも、正式呼び方は「 ナツダイダイ 」になるようです。
大正時代に博士が学名として命名したとのことです。
明治生まれの祖母が使っていたとしたら、聞き覚えがあります。

萩の城下町と夏ミカン

なぜ、萩市に夏ミカン?

夏みかんは風に弱いそうです。
明治になっても、たくさんの武家屋敷が残っています。
武家屋敷は使われなくなっていきますが、土塀や白壁は残っています。
風を遮る武家屋敷の敷地が夏みかんの栽培に向いていたしうです。

さらに山から流れてくる砂と、海からやってくる砂で出来た三角州に城下町はあります。
水はけがよく、夏みかんには喜ばしい。

聞いたところによると、海に面しているのに地下にも水は少なく、流砂現象が起きないそうです。
それほど、水はけがよいo(^^o)

夏みかんの栽培に、最初は抵抗があった武士の人たちですが、やがて夏みかんの栽培が根ざして萩の経済を潤したそうです。

交流の夏みかんお菓子

夏みかんチップスとか、ありました(^^;
なんでもチップスになります。
裏磐梯の特産品でチップスを作るとしたら...
ジュンサイチップス
ん~(-_-;)
カレワラの庭の特産品でチップスを作るとしたら...
ウルイチップス...フキチップス...
いらない

夏みかんのようにはいきません。

丸ごと夏みかん(みかんの丸漬け)
甘いのにすっきり夏みかんで美味しかったです。
ようかんのような感じ、白あんこだと思います。

夏みかんをスライスして甘く煮たやつ
オーソドックスに美味しいですよね。
サッパリしていて食べやすく飽きません!
夏みかんに限らず好きです。

磐梯山ジオパークからは

特製ジオクッキー(オリジナル品らしいです)

そして、なんといっても他にはありません。
猪苗代の笹だんご!
笹から外されて半分にされていました(^-^)

戊辰戦争150年周年

やはり、この話題になりました!

いや、磐梯山ジオパーク事務局が話題をふった(^^;

(冗談の範疇で)話が盛り上がるシーンもw

会津若松では戊辰150周年記念事業を行っていたようです(市観光課)。

わたしは生まれも育ちも神奈川なんで、このあたりの話題はスルーで(^^;

こういうのって歴史にロマンを感じて嫌ではありません。
盛り上がってください。
無責任な発言でごめんなさい(^^;

いつになることか
次は萩の単成火山と磐梯山の複成火山を書き留めておきます。

なんか、ぜんぜん裏磐梯と関係のないことばかりを書いています。
SEO的に良くない!
「裏磐梯 ペンション」で検索すると、4ページ目になってしまいます(-_-;)

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