天寧寺・「近藤勇の墓」

天寧寺・「近藤勇の墓」です。 お寺からさらに山道を登って、のぼって、のぼって、まがって、のぼって、ハァ、のぼって。 ありました。。 鳥羽伏見の戦いで敗れ江戸に戻り、その後投降し捕縛、処刑される。その知らせを会津で聞いた土方が建立したとされるお墓。墓石の戒名は容保の書。 斬首された首は京都でさらしている間に何者かによって持ち去られココに埋葬されているとも、遺髪が埋葬されているとも言われているそうです。 他に愛知・法蔵寺、三鷹市・龍源寺にもお墓があります。 目の前に辞世の句を記した石碑があります。
孤軍援絶作囚俘 顧念君恩涙更流 (孤軍、援絶えて俘囚となる 顧みて君恩を思えば涙さらに流る) 一片丹衷能殉節 雎陽千古是吾儔 (一片の丹衷よく節に殉じ 雎陽千古これ吾がともがら) 靡他今日復何言 取義捨生吾所尊 (他に靡きて今日また何をか言わん 義を取り生を捨つるは吾が尊ぶ所) 快受電光三尺剣 只将一死報君恩 (快く受けん電光三尺の剣 ただ、まさに一死をもって君恩に報いむ)

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