
久々のJSBA技能検定
最後に検定を受けてから、何年たちましたか?
3年?
決してあきらめていたわけではありません!
単純に金欠でした...。
スクールに入るお金も検定料も、ガソリン代だってありません。
裏磐梯のスキー場に引きこもっていました(^^ゞ
講習を受ければJSBA公認インストラクターです(^o^)v
猫魔スキー場で検定
なんと今回は猫魔スキー場でスキルチェックをしてもらいました!
これって私にとって重要です(^^;
「なんで中村さん!猫魔ではできるのに、(猪苗代)リゾートじゃできないの?」と言われたことがあります。
「中村さん、猫魔スキー場で検定してあげようか。ジャッジが二人にスターター、出張費1人30000円ね!」とか(^^ゞ
ホント猫魔でできるのに、ほかのスキー場ではできないんです。
猫魔スキー場がホームゲレンデ、猫魔ローカル、
アルペンだったり、テレマークだったり、いろいろですが...
30年以上も通っているので、それだけ安心感や愛着があります。
安心してはしゃげます(^o^)v
気になる採点ですが...
ロング・ショート・フリーラン 70点
合計210点
ギリギリ合格点でした!
今年も滑走日数は40日越え!
やっとJSBA技能検定1級合格(^^ゞ
阿弥陀寺、リベンジ!
行けました…明るいうちに。
東京で警察局に勤め、大正まで生きて家族とともに会津に眠っておられるそうです。
戊辰戦争の殉職者の方々もここにお墓があります。
庄内藩へ援助を求めに行った土方歳三と別れ、斎藤一を長とする会津新撰組がここに陣をはり、西軍に攻め込まれ敗れた場所。
全滅かと思われていたが、またまた改名(山口)していた為に逃げていた事が分からなかったらしい。
この後、現青森・むつ市にあった斗南藩で旧会津藩士たちと過ごし、容保からもらった名前「藤田五郎」に改名し東京に行ったそうです。
「ここが容保のお家かぁ~」なんて思ったり…
いま『会と誠』というタイトルで会津藩と新撰組の関わりを中心にした展示をしてます。
他に常設展示も楽しいです。食文化や殿の一日とか、着物を着て写真を撮れたり。
インパクトがあったのは「日新館」の”戎の掟”
地元の子供達が朗読してます、その最後の一文。
【ならぬことはならぬものです】
6才から9才くらいの子が入学時に覚えるそうです。
武士道に沿って、制度も教育方針もすばらしい学校だったというのはうなずけます。
戊辰戦争のときにはココが本陣となって、容保に見送られ白虎隊が出陣した場所です。
新撰組の土方歳三もココに立ち寄っているそうです。
要所なので豪華でデカイのかと思っていたら、こぢんまりしてました。でも雪国、建物も屋根も立派でした。
屋内には生活道具、ゆかりの品々、それにたくさんの戊辰戦争のときの弾痕痕。殿御用達の厠も見られます。
何より、ナレーションがグッ!(* ̄∇ ̄)ъ
たぶん管理されてるお家の方のお手製テープで何とも味がある。読んでる合間に紙をペラッとめくる音が入ってます。
七日町通り・「清水屋旅館跡」
宇都宮で負傷した土方歳三が、会津に来てここで養生し全快したという旅館跡。
昭和の初めに惜しまれつつ取り壊されたそうです。
正面から入って裏口に出ます。
不思議です、そんな大きな建物に見えないのに背を屈める事なく歩けます。
面白い、楽しい!!
上り下りとも一周半づつ、行って返って来るんですって。
昇りと下りと別の坂道を通って裏に出てくる即席の巡礼観音堂だそうです。
280年前に作られたそうです。
世界で唯一の構造だそうで天才的だと書いてましたよ。
ホント、そのまま”さざえ”みたいに見えます。
くわしくは…
自刃の地より鶴ヶ城はこんな感じに見ることができます。
実際には燃えてなかったんですが、そんなに大きく見えませんから見間違えても仕方ないかな。
白虎隊自刃の地。
隊士がのぞんでいる方向に鶴ヶ城を見ることが出来ます。
城付近の屋敷が燃えているのが城の火災に見えたそうです。
城までたどり着いた他の隊士達は入城して、籠城戦にて活躍したそうです。