会津新撰組最後の地「如来堂」

04-10-14_16-28.jpeg 庄内藩へ援助を求めに行った土方歳三と別れ、斎藤一を長とする会津新撰組がここに陣をはり、西軍に攻め込まれ敗れた場所。 全滅かと思われていたが、またまた改名(山口)していた為に逃げていた事が分からなかったらしい。 この後、現青森・むつ市にあった斗南藩で旧会津藩士たちと過ごし、容保からもらった名前「藤田五郎」に改名し東京に行ったそうです。

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