会津武家屋敷

佐々木只三郎の墓があると言うので、まずは武家屋敷にやってきました。 041012_1114~0001.jpg<会津武家屋敷>…会津藩士西郷頼母(さいごうたのも)の武家屋敷。容保公に京都守護職辞任を進言した方だそうです。戊辰戦争の時に消失したが、図面が発見されたのをきっかけに復元。 去年、筒井道隆さんが来て撮影にも使ったそうですよ、写真やサインがありました。 順路に沿って進むと、その時代の生活ぶりがよく分かります。 「佐々木只三郎」…ドラマの最初から出てましたね。会津出身の方で江戸へ養子にいっています。実兄は会津藩士で新撰組とも関わった人です。 新選組結成に係り、京都見廻組の隊長として治安維持に努め、新撰組のライバルのような存在。坂本龍馬の暗殺の指揮をとったのではないかと言われています。 鳥羽伏見の戦いで負傷し、和歌山の紀三井寺まで逃げ延びましたがそこで没し、お墓もそちらにあったそうです。昭和50年に若松市の武家屋敷に移されました。 お墓の写真は撮りませんでしたので、省略。順路の最後の方にあります。

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