慧日寺 磐梯山信仰(^ ^)v

第9回ジオパークフォーラムに参加してきました。
また、慧日寺です。
でも、今回は復元された薬師如来坐像も見に行くそうです!

講演もあります。
ついでだから遅刻せずに、朝食もそこそこ出かけてきました(-_-;)

ところが!
やっと繋がりました!!

会津 → 慧日寺 → 磐梯山山岳信仰

県立博物館の塚本先生の講演を聞いているうちに、慧日寺に身近な関心を抱き始めました。

慧日寺薬師如来坐像
慧日寺薬師如来坐像

とは言っても、宗教に関心のないわたし(^^ゞ
半分は間違って解釈しているかもしれませんorz
ちなみにわたしは宗教に関心がないといっても、無宗教ではありません。
初詣には行きますし、実家は真言宗の檀家です。
教会にだって、ルーラストーンの書き換えに出かけます。

先日5月の「地学の日」ジオツアーでは湯川村の勝常寺に国宝を見に行きました。
なんで湯川村?

解りました!
奈良時代とか、平安時代のお話になります。
慧日寺を徳一さんというお坊さんが作ったのも平安時代です。
そのすぐ後に、徳一さんは湯川村に勝常寺を作っています。

間違っているかもしれません!

群寺(ぐんでら)

湯川村 勝常寺
湯川村 勝常寺

昔の郡のお役所の周りに、お寺さんがいっぱいあったそうです。
これが群寺らしいです。
飛鳥奈良時代につくられて、無くなっていったようです。

その群寺さんのなかでも、勝常寺は重要な拠点で政治的な役割もあったのではないか?と言われているそうです。

山寺

磐梯町慧日寺
慧日寺

普段は群寺でお経を唱えているお坊さんが修行にくる場所。
祭事を行うために、身を清めにくるところだそうです。
薬師悔過(やくしけか)と言って、薬師様に懺悔して身を清めるそうです。
そして、疫病神が入ってこないようにお祭りをして、薬師寺で疫病神食い止めるそうです。

また、天に近ければ近いほど、霊力を高めやすくなるそうなので、山寺で修行をするそうです。
滝とかありそうですね。

薬師堂
慧日寺の薬師堂と仁王門

磐梯山

山岳信仰のメインの山
会津では「磐梯山」と繋がってくるわけです(^ ^)//△

山頂には祭事を行うためのものが置いてあるそうです。
また、一般のお坊さんは入れません。
特別な儀式の場所です。

古代密教儀礼と聞きましたが、ググっても出てきません(^^ゞ

磐梯山ジオパーク
磐梯町方面から見た磐梯山

まとめ

ということで、
会津盆地の山岳信仰において、慧日寺と磐梯山が宗教的に重要なジオなんだ!
というように、繋がりました〇

そうそう、こちらから見ていると慧日寺も会津盆地も見えません!

裏万歳のカレワラ・ガイド#3 吾妻山神社を探す

まぼろしの神社「吾妻山神社」を探して

吾妻山は修験者の山です。
地元でも、ほとんどの人が見たことのない吾妻山神社を、裏万歳さんが探しに行きました...

アルバイトの裏万歳です。8月21日は吾妻山神社を目指して早朝からアタックをかけました。
オーナーの車でペンションを出発、被災地支援策で現在無料になっている磐梯吾妻レークラインを使って、中津川渓谷レストハウスまでひとっ跳び。
ここで朝食と歯磨きとトイレを済ませ、7:00に渓谷遊歩道へ下り始める。

7:20林道分岐。直進路は中津川沢登り用登山路で、本格的な沢登り装備が必要との看板がある。今回はここで右折して吾妻山神社登山口へ向かう。
8:00登山口到着。標識は壊れて傾き、荒んだ様子がイヤな予感。草むらの生い茂る緑の林道を進み、途中の鬼子母神像にお賽銭を置いて安全祈願をする。
;間もなく林道は途切れ、草をかき分けて渓流へ出る。登山道は流水に足を入れる道なき道になり、標識も見当たらず大層心細い。

渓流を抜けると今度は笹藪に突入。狭い登山路はよく踏まれてはいるが、笹藪に阻まれて泳ぐようにしか進めない。早くも蜘蛛の巣だらけに。
地図にもある通り急勾配の直登が1時間ほど続く。これでかなり体力を消耗。直登を終えても笹藪の水泳と倒木アスレチックは延々と続き、標識もなく、既に帰りたい気分。

10:45やっと「吾妻山神社」の標識に遭遇。しかし盛大に倒木が折り重なった場所に行く手を阻まれ、もしやここが目的地の神社かと周囲を調査。すると倒木の向こうに道しるべのピンクのリボンを発見。ここは神社の入口にすぎない。倒木をくぐり抜けて先へ進む。

ここからが大変な道のりで、リボンがなければ遭難間違いなしの迷路である。かき分けやすい笹藪は終わり、足元の見えないシダが道を隠す。
地図は片道3時間というが、とてもそんなスピードは出ない悪路の上、途中から猛烈な下りが続き、既に登攀4時間を超える身体は、下山用の体力まで食い潰し始める。登山者はここいらが見極め時だ。帰りの時間と体力を考慮しないと、このような人気のない山では事故に遭う。

誘うようにポツポツと見えるリボンを辿ること1時間半。12:20に神社目前の温泉沢を三つ越えたが、4つめを前にリボンを見失い、登頂を断念、引き返す。
下山とは名ばかりの登りで体力を消耗。下りに差し掛かった時には眼底が痛み、疲労の蓄積で注意力が薄れ、二度も道を見失う。下山の経緯はあまり記憶がない。出口付近の渓流へ出たのが15:30で、沢の水をがぶ飲みした辺りから頭痛が解消したp;もと来た林道をたどって中津川渓谷へ出、誰もいない岩場で手足を洗う。16:30に渓谷を発ってサイクリングロード経由で家路につく。

途中、がさつく茂みに目をやると毛だらけの黒い背中が見え、先日遭遇したサルが進化してゴリラになったのかと思ったら、振り向いた顔は熊だった。
熊は小娘のように驚いて逃げて行った。この日最後のご愛嬌である。メールで連絡していたオーナーが間もなく車で迎えにきてくれ、18:00に帰宅p;日本の山奥に祀られる神様の中には、古代の争乱に敗れた豪族首長なども含まれ、怨霊鎮めの神社であることもある。

今回目指した神社は中吾妻山の中腹にあるが、登山道は一旦かなりの標高まで登っているのに、神社は敢えて大きく下る場所に位置している。その道もかなり放置ぎみであることから、幽閉地のような印象があり、私のささやかな妖怪アンテナはへし折られたのかもしれない。実に怖い登山でした。
地図の発行元には抗議の手紙を書いて、標準タイムの訂正を求めようと思う。